X Japanのギタリスト、と言えば今でもhideの名が浮かぶ人が多いのではないでしょうか。
彼のギタリストとしてのキャリアは、Saver Tigerというバンドでした(名称は「横須賀」が付いていたり、スペルが変わったりと変遷しています。)。
このバンドはインディースで成功をおさめたのですが、メンバーの脱退を経て解散してしまいます。
その後、hideは美容師になることを決めていたそうですが、親交のあったYoshikiに説得される形で、X Japanへ加入することになります。
hideのギターは下手なのか?
X Japan解散まで
X Japanは、1989年にアルバム「Blue Blood」でメジャー・デビューを果たします。
このデビューアルバムには、現在でもX Japanの定番と言える楽曲が収録されています。
X Japanは、メジャー・デビュー前夜のインディース時代から、既に有名になっていましたが、「いくら良い音楽を作っても、幅広く知られなければ意味がない」と考えたメンバーは、色々なアイディアを考えます。
NTVの「天才・たけしの元気がでるテレビ!!」でヘヴィメタのコーナーに出演したり、当時はデモテープ配布すら珍しい時代にオリジナル映像をVHSで配布したりと、他とは違うプロモートに、早くも着目していたと言えます。
そしてファースト・アルバム「Vanishing Vision」でインディースとしては驚異的な売り上げを記録した後、「Blue Blood」でメジャー・シーンへ向かいました。
その後のX Japanの活動は、よく知られた通りです。
様々な賞などを獲得しますが、Yoshikiの体調不良なども重なって日程を延期しながらも、ツアーを精力的にこなしていきます。
そして1992年には、日本のアーティストとして初の東京ドーム3日連続公演「破滅に向かって」を果たします。
しかし、1997年、ヴォーカリストのToshIの脱退が発表され、X Japanは解散しました。
hideのソロ活動
X Japan解散前から、メンバーはそれぞれソロ活動を行っていました。
特にソロ活動の幅を広げていたのがhideです。
1993年に作詞に森雪之丞氏を迎えたシングル「Eyes Love You」「50%50%」を同時リリース、それらを収録した初のソロアルバム「Hide Your Face」を1994年に発売します。
当時、このアルバムのジャケットは、衝撃的なアートワークで話題になりました。
そして1997年にX Japanが解散した後は、hide with Spread Beaverやzilchなど、解散後のメンバーでは最も精力的と言える活動を開始していましたが、翌1998年5月2日に急逝してしまいます。
ギタリストとして
・hideのギター・プレイ
ここまでX Japan、そしてソロ・アーティストとしてのhideのキャリアを簡単に辿ってみました。
それでは、hideのギター・プレイはどのようなものだったのでしょうか。
彼自身は「魅せるギターを弾く」と言っています。
X Japanはでは、Pataというギタリストも在籍し、ギタリストは2人でした。
テクニカルなプレイはPataに任せていた、という話もあります。
そもそも、X Japanは、純粋なヘヴィ・メタルバンドとは言い切れないバンドだと思います。
確かにテクニカルで複雑な楽曲が多いですが、ポップで分かりやすいメロディや盛り上がりを意識したような構成など、音楽マニアよりも一般リスナーを考えているようです。
また、通常ギタリストが2人いるバンドの楽曲は、一方がリードで他方がリズム、もしくはユニゾンなど、ある程度の「定石」があります。
しかし、Yoshikiの楽曲は複雑な楽曲が多く、スタジオ・レコーディングとライブ用では新たにギターのアレンジを変えなくてはいけませんでした。スタジオ音源をライブでどのように再現するか、ギタリストの能力が問われます。
また、X Japan中期以降は、ライブ会場の広く、今のようにイヤフォン・モニターのある時代ではありませんでしたので、自分のギター・サウンドをモニタリング出来ていたのか、不明なところです。
・hideというギタリストは
一部では、hideはギターが下手、と言う方もいるようです。
確かに彼のキャリアを辿って聴いてみても、とてつもない速弾きや高度なテクニックを披露している、そのような楽曲はほとんどありません。
むしろ「魅せるギター」の如く、受け入れられやすいプレイや、楽曲と一体化したようなアプローチが特徴に思えます。
そもそも、「ギターが上手・下手」という定義が困難ではないでしょうか。
高度なテクニックがあっても、それはギタリストが評価される一部であって、全てではないはずです。
Yoshikiの作る楽曲を、2人のギタリストがそれぞれ自分の個性を活かしたギター・アプローチが、X Japanの魅力だったと思います。
Pataはスタンダードなプレイで楽曲を支えており、hideは自由に動き回るような奔放なプレイ(良い意味で)、またエフェクティブなプレイも可能でした。
どちらの理由が先かはわかりませんが、結果的にそれがhideというギタリストの魅力だったのではないでしょうか。
そのようなX Japanでの活動から、より自由に活動を開始した矢先の急逝だったので、当時は誰もが残念に思いました。
hideが亡くなってから、既に20年以上が経っています。
hideというギタリストを改めて聴いてみたり、まだ聴いたことのないリスナーにも是非聴いていただきたいです。
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